夏山のトレッキングガイドだけではなく、山と関わるさまざまな仕事に携わって10年余りがたちました。山地図のために登山道の状態を調査したり、直接整備を行ったり、また登山者に対して登山口で安全啓発をしたり、時には遭難事故が起きた際に捜索に向かったり、そうした中で、登山道は誰のためにあるのかという切実な問いが胸の内に生まれ、大きく膨らんでいます。それは登山道を取り巻くさまざまな問題を日々感じるようになったからです。

 山地図のための登山道の調査の仕事を始めて、身に染みて分かったことがあります。登山道というのは誰かが整備しないと廃れてしまうという現実です。

 報酬をもらって整備する仕事であろうと善意からのボランティアであろうと、誰かが汗を流して多大な苦労があるからこそ維持されているのです。こちらは山地図を調査する側でしかないのですが、ここは登山道が崩壊しているから修理してくださいとか、ささやぶがひどいので早く草刈りをしてくださいなんてお願いできる立場ではありません。

 しかし、遭難者を捜索したり救助したりする仕事に関わるようになって、整備されていない登山道が遭難事故を引き起こしやすくするという現実にも直面しました。

 例えば、ささやぶが伸び過ぎたままになると登山道の路面が分からなくなり、木の根に引っかかることで転倒や滑落につながります。また道に迷ったり、さらには道迷いからもっと重大な遭難事故に発展したりもします。

 一方で、登山道を利用する人たちによる自然へのダメージやマナーとモラルという問題も深刻化しています。登山者が多過ぎる場合には貴重な自然を壊すということも起こっています。

 まず挙げたいのは踏み荒らしの問題です。勝手に登山道を外れて歩きやすいところを歩くと、次から次へと歩く人が新しい道を作ってしまいます。そこにはさまざまな生態系が息づいているわけですから、一つの山にいくつもの登山道を人間が勝手に作っていいものでしょうか。

 最近、ある篤志家向けの登山ルートが立ち入り禁止になりました。昔から六合の人々と往来のあった古い道です。登山者や釣り人のマナーの悪さから、ほんのわずかな一部の土地の所有者によって立ち入り禁止を宣言されて通行できなくなりました。これも由々しき問題です。

 登山者はまず、今日歩く登山道について誰かが整備していることや、人間中心ではなくさまざまな生態系が息づいていることに思いをはせて歩いてほしいものです。

 「赤城山の道をよくしたらお客が来過ぎて困るから少し壊して歩こうかと思う」。これは赤城山の登山道を開拓した故猪谷六合雄氏が残した言葉です。名言だと思いませんか。

 【略歴】県内小中学校の教員を25年間務め、2013年から現職。野反湖登山案内センター運営。芳ケ平湿地群環境学習ガイド協議会代表。中之条町遭難対策協議会所属。