
1994年にスペースシャトル「コロンビア号」に搭乗し、アジア女性初の宇宙飛行士となった向井千秋さん(71)=館林市出身。医師、宇宙飛行士、研究者、教育者として夢を追い続け、困難にぶつかりながらも全身全霊で挑み続けた半生を振り返る。
(肩書き、年齢は掲載当時のものです)
1994年7月8日、スペースシャトル発射場のある米国・フロリダ州は青空だった。燃料が充塡(じゅうてん)されたロケットは白い煙を吐き出し、生きているように感じた。「スリー、ツー、ワン…」。固体補助ロケットに点火され、腹の底から突き上げてくる振動がうれしかった。「ああ、これでやっと宇宙に行ける」
地球周回軌道に入ると、吸い込まれるような暗黒に、地球が浮かんでいた。青いドレスに白いレースをまとった貴婦人がキリッと立っているよう。堂々としていて気品があった。伐採の跡が見えるアマゾンの熱帯雨林、アフリカの美しい砂漠、まばゆいばかりの東京の夜景。肉眼で捉えた地球は多様性に満ち、生命力にあふれていた。
8歳の時にガガーリンが人類で初めて宇宙に行き、17歳の時にはアポロ11号が月に着陸した。当時の記憶を彩った宇宙飛行士は米ソという大国の軍人で、日本人が宇宙から地球を眺める日が訪れるとは思わなかった。
チャンスはどこに転がっているか分からない。外科医だった31歳のあの日、忙しくて目を通すこともなかった新聞が人生を変えた。「日本人宇宙飛行士募集」。片隅の小さな記事に出合わなかったら、違う道を歩んでいただろう。
何歳になっても可能性を閉ざさず、面白いと思ったことを追究したい。米国の第1期飛行士、ジョン・グレンさんは77歳の時に私と一緒に飛行した。私の好きな言葉は「If you can dream it, you can do it(夢見ることができれば実現できる)」。月に行くのが今の夢だ。